2016.12.04 16:20|私論
以前、「沖縄の海 辺野古の海」という記事を書いた。
普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への移設工事(埋め立て工事)に反対している人たちが、県内の他の大規模工事に反対しないのは何故だろうか、という内容。
辺野古の移設工事での埋め立て面積は、約160ha。
那覇空港の第二滑走路増設工事では、同規模の約160ha。
那覇軍港(米軍那覇港湾施設)の浦添への移設では、300ha以上が埋め立てられる。
何故、辺野古だけが反対されるのか。

反対の理由はいくつかあるようだ。
ただ、一方で「普天間の移設問題はともかく、辺野古への移設は認められない」という主張があれば、他方で「沖縄の米軍基地はすべて撤収・返還され、米軍基地はゼロにしなければならない。普天間は無条件に返還されるべきで、代替地に移設することは認められない」という主張もあり、移設反対派といってもその主張・考え方には幅があるのが現実だ。
そうした中で、反対派内に共通する理由の一つは自然環境問題ではないだろうか。
埋め立て工事による当該海域の自然・生態系への影響、また地元辺野古区民の生活環境への影響などが問題視され、それらの悪化が懸念されている。
そして、自然環境の破壊への抗議のシンボルとして取り上げられているのが、沖縄の海に生息するジュゴンだ。
だが、沖縄のジュゴンの生態などについては、あまり広く知られてはいない。

そこで今回は、沖縄のジュゴンについて辺野古の移設工事に関わる部分について確認し、併せて辺野古住民への影響なども見てみたいと思う。

〈辺野古の埋め立て工事について〉
Q.飛行場移設工事(埋め立て工事)による辺野古の町・港への影響は?


まずは、辺野古の町と港の位置を確認しよう。

henoko_500.jpg

工事の中心となる辺野古崎から西へ2km弱。
キャンプ・シュワブの区域が切れ、道路が格子状に交差している辺りが辺野古の街区である。
その南岸には、海に防波堤を突き出した港が見える。
次に、飛行場建設の予定図を見てみる。

henoko_hikoujou_500.jpg

地図中緑色で示された、辺野古崎を中心に周辺海域と陸地部分を合わせたところが建設計画地だ。
これを見ると、辺野古の町には直接影響はないと思われ、港の前の海も滑走路で塞がれてしまうようなこともない。
よくネット上で(ブログなどで)、辺野古の海岸に立ち「この目の前の海が、飛行場建設で埋められてしまう(景観が変わってしまう)」などと書いている人を見かけるが、明らかな勘違いである。

ちなみに、環境への影響とは離れるが、辺野古の町にはいくつもの飲食店があり、飛行場移設に伴う米兵の増員が経済効果をもたらすことを期待しているという。
環境的影響ではなく経済的影響はあるかも知れない。


Q.埋め立てによる自然環境への影響は?

海を埋め立てれば、その自然環境に影響を及ぼす。
これは、当然のことだ。
陸であろうが海であろうが、人間が工事を行えば大なり小なり必ず自然環境に影響を与える。
そもそも人間の暮らしは、自然への干渉と破壊の積み重ねだ。
しかし、そこまでいってしまうと議論が広く深くなり過ぎてしまう。
ここでは、人類の存在の是非なんて話はしたくない。

さて、海岸の埋め立ては全国各地で行われ、決して珍しいことではない。
そこでは、(人間の自分本位の視点から)環境への影響が最小限に抑えられ、自然と人工がバランスを取っているという形を前提に開発が進められている。
辺野古の埋め立て予定地についても、それは同じだ。
環境調査を行い、辺野古固有の稀少な生物などが生息していないことを確認した上で、改めて埋め立てを決定しているはずだ。
全国の他の埋め立て工事と同様のルールに基づいて、工事計画は進められている訳だ。
辺野古だけが特別なのではない。

但し、160haの海が埋め立てられることは事実であり、そこにあるサンゴは潰され、種々の生物はその生息地を奪われる。
埋め立てのルールに基づき「問題はない」として計画を進める政府と、160haの海域が潰されることで失われ追われる生物を保護・保全したい反対派との間には、議論の齟齬があると言える。

海岸部の埋め立てに関連して、資料を一つ挙げる。
国土地理院HPにある「沖縄県面積値の推移」だ。

国土地理院

平成25年全国都道府県市区町村別の面積を公表
 ~資料-5 昭和63年~平成25年の沖縄県面積値の推移(国土地理院)
http://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/okinawa60025.html


昭和63年~平成25年のデータだが、中央の「増減面積」の欄を見ると、毎年面積が増えていることが分かる。
つまりこれは、毎年沖縄県のどこかで必ず埋め立て工事が行われていたということだ(もちろん、本島だけでなく離島も含む)。
となると、毎年県内のどこかで行われている埋め立て工事に対して、反対運動が起きているのだろうか。
そのようなことはない。
辺野古より小規模な事業は問題視しないのか。
だが、始めに触れたように、辺野古の2倍はあるかという浦添の埋め立て工事について目立った反対運動は行われていない。
この辺りに、辺野古埋め立て反対派の主張の偏りが見える。
少なくとも、「沖縄の海を守れ」ではなく、「辺野古の海を守れ」と限定してシュプレヒコールを上げるべきではないか。


つい長くなってしまい、ジュゴンの話まで辿り着かなかった。
続きは、次回に。

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テーマ:沖縄米軍基地問題
ジャンル:政治・経済

2016.11.18 17:13|思い出話
今回は、僕の思い出話を書こうかと思います。
僕が、2歳だった頃の話です。
2歳ですからほとんど記憶がなく、母親と叔母の話を総合したものです。

当時、僕は千葉県松戸市の三矢小台という所にあったアパートに住んでいました。
三矢小台という住所は、矢切に接しています。
「矢切の渡し」の矢切です。
もっとも、住んでいたのは江戸川からは離れた所でしたが。
この辺りには県道が一本通っており、ここを国鉄(現・JR)の松戸駅から市川駅までを結ぶ路線バスが走っていました。
最寄りのバス停は「上矢切」。
そこから市川方面に向かって、「中矢切」「下矢切」と続いていました。

その頃、両親は共働きで、母親は毎朝僕を下矢切にある保育園に預けてパートに行っていました。
ある朝、母親がいつも通り僕を連れて市川駅行きのバスに乗り込むと、「おばあちゃん家に行こう。おばあちゃん家に行こう」と僕がぐずり始めたのだそうです。
父親の実家は総武線の平井駅にあり、市川駅からは3駅目です。
つまり、このままバスから降りなければ終点である市川駅に着き、電車で祖父母の家に行くことが出来るという訳です。
もちろん母親は「行こう」などと言うはずがなく、ごねる息子をなだめていました。
しかし、一向に「おばあちゃん家に行こう」は止むことがなく、下矢切のバス停を降りる頃には泣き叫ぶようにして懇願するようになっていました。
泣き続ける僕を保育園に預け、母親は仕事に出掛けて行きました。

さて、夕方になり、仕事を終えた母親が迎えにやってきました。
今朝の一件を踏まえ、母親はこう言いました。
「明日はお休みの日だから、お婆ちゃん家に行こうね」
しかし、息子からの返事は意外なものでした。
「おばあちゃん、もういないよ」
予期せぬ返答によく意味が分かりません。
「え?なに?」
「おばあちゃん、もういないよ」
意味は分かりましたが、言葉の意図がつかめません。
深く考えることはせず、明日は平井へ出掛けようとだけ決めて自宅に向かいました。

帰宅すると、すぐに電話が鳴りました。
「ああ、義姉さん。やっとつながった」
電話の主は、叔母(父の妹)でした。
祖母が亡くなったとのことでした。


話は以上です。



テーマ:不思議な出来事
ジャンル:

2016.11.12 16:24|音楽
さて、ちょっと寄り道しましたが、僕がCoccoのファンになったきっかけの話、その続きです。

2009年に南条あや「卒業式まで死にません」を読んだときに、南条さんがファンだったアーティストがCoccoでした。
本書は彼女の日記を中心に編集されていますが、日記中に何度もCoccoの名が登場するのです。
Coccoのアルバムを購入したというだけでなく、彼女の曲を聴きながら外出したり、カラオケで熱唱したり…。

2009年から、僕は自分の腕を切るようになっていました。
俗にアームカット(アムカ)と呼ばれるものです。
何度か切っているうちに、「自傷行為」について関心を持つようになりました。
そこで、ネットで調べたりしているうちに出会ったのが、南条さんの本でした。
そして、Coccoの名を知った訳です。
南条さんが夢中になっていたCoccoとは、どんな歌手だろう。
今度は、Coccoに興味を持ちました。

調べてみると、Coccoは1997年デビューで、2ndシングル「強く儚い者たち」のスマッシュヒットで広く知られるようになりました。
南条さんは、3rdシングル「Raining」、2ndアルバム「クムイウタ」までを聴いていたと思われます(「クムイウタ」を購入したことは日記に出てきます)。

このような曲です。

強く儚い者たち


Raining


ところで、Coccoはリストカットなどをしている人たちに人気があると言われます。
それは、歌詞の中に自傷行為を思わせる描写が出てくるからでしょうか。

 歩くために
 失くしたものを
 拾い集めて
 手首に刻み込んでも
 (「やわらかな傷跡」)


 髪がなくて今度は
 腕を切ってみた
 切れるだけ切った
 温かさを感じた
 血にまみれた腕で
 踊っていたんだ
 (「Raining」)



Coccoの曲を調べて、何曲か聴いていたりしていると、雑誌に彼女のインタビュー記事がグラビア付きで掲載されました。
papyrus 2009年10月号、表紙もCoccoの写真でした。

papyrus.jpg


この写真は、衝撃でした。
髪は、ベリーショートにまで切り詰められ、ノースリーブから伸びる腕は、至る所茶色くなった傷痕だらけ。
刃物で切ったのではなく、主に爪などで抉るように引っ搔いた傷のようです。
インタビュー記事の前にも、20ページに渡ってこのような写真が掲載されていました。
思わず心配になってしまいました。
彼女のメンタルはもちろんですが、現役の歌手としてこのような写真を公開することは、その活動に支障をきたさないのかと。
結局、これといって障害にはならなかったようですが。

この頃、新曲のプロモでCoccoが「ミュージックステーション」に出演しました。
現在の彼女をMVでなく生放送で見られるので、普段TVを見ないのですが初めのステージ登場からしっかり見ました。
ベリーショートの頭を布を巻くようにして隠し、深い青色のゆったりとした服を着てタモリさんと笑顔で話す彼女を見て少しホッとしましたが、その服の下には傷だらけで痩せ細った身体(この頃彼女はひどい拒食症でした)が包まれていると思うと、心身両面での心配は残りました。
しかし、スモークの流れる中で歌う彼女には、すっかり圧倒されてしまいました。
サビの部分の伸びやかで自由な歌唱に魅了されていると、最後のサビで彼女は歌詞を沖縄言葉にして歌ったのでした。
いっそう気持ちが乗り、歌に熱がこもっていき、ラストに向かって強く歌い上げていきます。
曲が終わったとき、胸がいっぱいになるどころか、むしろ心が空っぽになったような、撃ち抜かれて穴が開き風通しがよくなっているような、そんな感覚に包まれていました。
そして、このときCoccoのファンになったのでした。

このときの曲は、「絹ずれ」という曲です。

絹ずれ



今回は、僕がCoccoのファンになったきっかけの話をさせてもらいました。


テーマ:お気に入りアーティスト
ジャンル:音楽

2016.11.07 19:15|私論
卒業式の翌日。
あやさんは深い悩みの中にいました。

11日に日付が変わって、私は完全に高校とも完全に分離したような、そんな状況です。
分離してみたら…。怖いのです。何にもなれない自分が、情けなくて申し訳なくて五体満足の身体を持て余していて、どうしようもない存在だということに気付いて存在価値が分からなくなりました。
今まで、卒業するという目標に向かってたらたらしながらも突っ走ってきたのが、目標を達成してしまうと、次に何をしていいのか分からなくなってしまいました。
働くのがいいのでしょう。おそらく。そんな気力もないのです。
(中略)
私は焦っているのかも知れません。みんな4月になれば専門学校、短大、大学、就職、それぞれの道を歩んで行くのに、私だけ、一人取り残されたような。ソレも、自分の怠慢のせいで。なんか、精神状態が退院したときと同じ様な状態になっているような気がします…。(黒)
(3月11日 297ページ)


彼女は、父子家庭でした。
卒業後の進路として、専門学校への進学を希望したようですが、経済的理由により父親から認めてもらえなかったようです。
また一方で、卒業したら小遣いは出さないとも言われていました。

最後の投稿となった3月17日の日記には、こんな記述があります。

現在不安な発作に襲われてどうしていいのかどうしていいのか困ってます。過呼吸にならないように呼吸のコントロールは気をつけています。コントロールできるんだから発作じゃないでしょうとおっしゃりたい方もいらっしゃるとは思いますが、とにかく何だか不安でしょうがないんです。だーれーかータスケテ。
(3月17日 302ページ)


今となっては、この最後の投稿の「だーれーかータスケテ」という言葉が、とても重く感じられます。
いつも通りのおどけた書きぶりの背後で、彼女は切実な叫びを上げていたのではないでしょうか。

この日から12日後――亡くなる前日に、彼女は恋人(婚約者)に宛てて四編の詩をメールで送っています。
ホームページに上げてほしい、と。
(そして、自分のPCのデータをすべて消去したそうです)

一つ目の詩を引きます。

名前なんかいらない


起きなくてはいけない時間に起きて
しなくてはならない仕事をして
名前を呼ばれるなら
誰にも名前を呼ばれたくない
何もかもを放棄したい
そして私は永遠に眠るために今
沢山の薬を飲んで
サヨウナラをするのです
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが
私の最後の望み


正に自殺予告に(その方法まで)なってしまっている詩です。
ここで挙げられている「名前」は、本名の方だと思います。
本名=現実の自分、です。
就職をして、時間に規定される生活をして、「南条あや」を捨てるようなことになるなら、いっその事この世界から消えてしまいたい。
そして、リアルな自分のことは、人々の記憶からも消え去ってほしい。
という内容だと、僕は読みました。
1か100かで選択をする、という極端な決断の仕方は、うつ病患者によく見られるものです。

もう一編、引用します。

頭痛


頭痛の原因は
分かり切っていることで
治そうとも思わない
この痛みは私にかせられた償いの一部
あの子を殺したから
私が殺したから
私は軽くからかっているつもりでも
あの子には自らの命を絶つほどに辛いことだったんだ
生涯私はこの頭痛と付き合ってゆく
あの子の痛みを一部
ホンの一部


こちらの「私」は、「南条あや」の方だと考えます。
「あの子」は、本名を名乗る現実の自分。
ここでも「南条あや」を取るか、現実世界の自分を取るかの、極端な選択に囚われています。
「南条あや」を選ぶことで、現実の自分は消える。
自殺という形で。
自分の自殺を別人格から見ているような印象も受けます。

リストカットなどの自傷行為が前に出すぎて、彼女がうつ病であったことが比較的軽視されているように思います。
普段から不安定であった心は、卒業を意識した頃から不安や焦燥を覚え、学校を卒業したことで心理的プレッシャーは極大に達したのだと思います。
そして、「南条あや」であることで広く世の中に自分の存在をアピールすることが出来る、と「南条あや」が自分のアイデンティティともなっていた彼女にとって、それまでのような生活が出来なくなるということは、大きな悩み・不安となっていたでしょう。
当時、Web上には南条あやのファンクラブが出来ていましたし、複数の雑誌やTVから取材を受け、寄稿もしていたのです。
南条あやとして活動出来なければ、これらをすべて失いかねません。

また、現実の彼女は、自己肯定感が低い人のような気がします。
それは、いじめの経験や父親との確執などの影響かとも思いますが、断言は出来ません。
でも、少なくとも「南条あや」である限りは自分を積極的に認めてあげることも出来ますし、日記の中の自分は明るく生き生きとしていて、深刻な悩みも不安も抱えてはいないように振舞っています。

当初、Web上で公開する日記を書くことは、彼女にはある種のセラピーのように作用したかも知れません。
そのうち読者の反応が増えてくるに従って、彼女はその声に応えるようにより楽しんでもらえる文章を書いていきました。
そして、そこに描かれる南条あやという分身に、自身の理想像を託していたのではないでしょうか。
しかし、世の中の注目度が上がるにつれて、現実の自分と日記の中の自分との乖離が大きくなっていきます。
とはいえ、ネットアイドルと呼ばれ、雑誌やTVの取材を受けるまでになった「南条あや」は、彼女の心の中でかなり大きな存在になっていたと思います。
そして、卒業。
マスメディアに取り上げられ、これからも広く活躍できるかも知れないと思われたところに、「南条あや」としての活動に黄色信号が灯ったのです。
彼女にとって、「南条あや」を捨てることは心の多くの部分を失うことであったでしょう。
現実の自分は、学生でもなければフリーターにもなれない。
「女子高生」というブランドも失ってしまいました(彼女が日記を連載していたサイトでのコーナー名は「現役女子高生・南条あやの部屋」)。
うつ病でもあった彼女の絶望感は、どれほどだったでしょう。

僕は、彼女が自ら死を選ぶことになった背景を、このように類推します。

1999年3月30日、あるカラオケボックスの一室で、彼女は向精神薬を多量服用して亡くなりました。
彼女の死により、「南条あや」の名は広く長く知られることになりました。

「卒業式まで死にません」は、彼女が読者に楽しんでもらおうとの思いを込めて書き綴った、公開日記の集成です。
その記述内容から彼女の現実の姿(実像)を探ろうとするなど、無粋なことかも知れません。
ここは素直に、虚実ないまぜの日記の記述を味わい、「南条さんって、楽しい人だな」と笑いながら読むのが、彼女の望みに応えることになるのだと思います。
彼女が、死の直前まで守ろうとした「南条あや」は、日記の中で永遠に生き続ける。

南条さん、この本に出会えてよかったよ。


テーマ:メンタルヘルス
ジャンル:心と身体

2016.11.05 02:46|私論
前回の記事で、南条あや著「卒業式まで死にません」という本を紹介しました。
紹介記事を書くために再読したところ、改めて南条あやさんの心に収められた不安や苦しみを窺い知ることが出来た(と思う)ので、ここに読書記録も兼ねてまとめておこうと思います。

まず、日記の中の彼女の文体が、実に読みやすく軽やかでユーモアを湛えた優れたものであることを例示します。
クリニックの後、薬局に寄った帰り道の場面です。

9日分のお薬をビニール袋に入れて帰途につきました。
レボトミーンと思って袋の中を開けるとソコには!!
ひ・る・な・み・ん・25㎎!
ごぼーん。がぼーん。
薬剤師ぃ!何で説明せんとぉ? ロラメットとエバミールの時は説明してくれたやんけー! ゾロだって。 ウチを特に薬に詳しくもない、そこじょのパンピーと一緒にしとっと!
(12月21日 101ページ)


まあ、大体このような感じで、明るくくだけた親しみやすい文体で書かれています。

さて、本書を読んでいて気付いたのは、内容を脚色している(話を盛っている)箇所や、明らかなウソを書き込んだ部分があることです。
本書に日記と共に収録されている「いつでもどこでもリストカッター」(別冊宝島445『自殺したい人々』に掲載された文章)の中に、こんな記述があります。

高校一年生の頃でしょうか。私にとって大きな転機が訪れました。静脈と、出会ったのです。いつものように二の腕を縛ってリストカットをしていたところ、びゅわっ!っと勢いよく血が15センチほど上がりました。びっくらこきました。何が起きたのかと。よーく傷口を見てみると、血管を切ったようでした。……ス・テ・キ・★と思ってしまう私がソコにいました。
(23ページ)


二の腕を縛ったとはいえ、リストカットで血が15センチも吹き上がるものでしょうか。
しかも、動脈ではなく静脈です。
血が噴き出すほどの出血で、傷口を見て「血管が切れている」と確認できるのでしょうか。
自分で経験がないので、「ありえない」とは断言できないのですが、少々疑問に思います。
次も、同じく「いつでも…」の記述です。

クラスメイトに母親が看護婦をしている子がおり、その子に頼んで注射針をもらってもいました。ツベルクリン用の針よりも遥かに太い針です。それを使うと、かなりの出血を伴いました。
(24ページ)


これは、ありえないでしょう。
母親が看護師だからといって、注射針をもらえるなんて。
さらに、「日記」の方にも、こんな記述があります。

以前満員電車で座ってお化粧中の女性が急停車した拍子に鼻に口紅を突っ込んでボキリと折ってしまいました。…あの女性は今…なんて気になりません。
(1月11日 149ページ)


これは、明らかにウソです。
何故ならば、この鼻に口紅を突っ込んだ女性のエピソードは、都市伝説的に広まっていた話だからです。
南条さんが、その発信元である可能性もないではないですが、まずウソでしょう。

僕は、彼女が嘘つきだったなどと言うつもりはありません。
おそらく読者を喜ばせようと、自分への興味・関心を持続させようと、現実の出来事に書き加え盛り込んでいたのでしょう。
一見お気楽で軽妙な語り口に、時折り脚色も交えながら、楽しい文章を書き連ねていた彼女は、実際はどういった心境でいたのでしょう。
実は、日記の中でもクリニックでの診察の場面には、彼女の本当の心情が記されています。

私の診察内容をぶっちゃけると。「この頃死にたい」に尽きます。気分の波が激しくて上がったり下がったり。
(12月2日 44ページ)


「この頃はいつもダメです…」と答えて抗鬱剤が効いていないことを強調するような形になってしまいました。一昨日は泣きながら遺書を書いたことや、飛び降りる屋上はもう決めてある等をかすれた声で伝えました。
(12月12日 67ページ)


そして、自傷行為について本当は止めたいと思っていると書いている箇所もあります。

左手が、凄いことになっています。
私の自傷行為のせいです。注射器でちゅーちゅー生理食塩水とかを注入しているんですね。自傷の衝動がおさまるまで。
…この衝動を抑えてくれる言葉でも、薬でも何でもイイから欲しいです。
(中略)
明後日のお医者さんで、衝動が抑えられないことを伝えたいと思います。
何で自分を虐げるのか。マゾヒストじゃありません。どうしたら治るの?どうしたら痛いことをイヤだと思えるようになるの?
でも一番の疑問は。
どうして自分を虐げるのか、という理由です。考えているとわけが分からなくなって、涙が出ます。
今の私は、好きだけど、まだ嫌いな部分が沢山です。
(1月11日 151ページ)


表面を明るくユーモラスに繕いながらも、心は抑鬱感情に満たされ、希死念慮は絶えず付きまとっていた。
自傷行為をカミングアウトし詳細を日記として公開しながらも、心の底では自分を傷付けたくないと悩んでいた。
彼女が、読者を喜ばそうとすればするほど、彼女の表面の虚飾と内面の苦悩は乖離していき、人々の関心を集めるのは「南条あや」という名のネットアイドルであり、本名の素の自分ではないことに気付かせられる。
彼女は、次第に虚像と実像の間の振れ幅が大きくなっていくことに、戸惑っていたのではないでしょうか。
しかし、彼女は「南条あや」を捨てることはしませんでした。
卒業アルバムの寄せ書きには、「南条あやをよろしく」と書いていたそうです。

(次回に続きます)


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プロフィール

あずきとぎ

Author:あずきとぎ
うつらうつらしています。
「うつ病」で通院中。
千葉県北西部に在住。
男(おっさん)。
(画像は、キャラメイクファクトリー様http://mac.x0.com/test/にて、作成)

→好きなものなど(ツイフィール twpf)

→twitter(@azukitogi19)

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